果物

稲沢フルーツ園 園長

石田 正幸さん

愛知県稲沢市

人生経験を注ぎ込んだフルーツで、美と健康をお届けする。

就農のきっかけ

高度経済成長期の開花

愛知県稲沢市でフルーツ園を営んでいる石田正幸さん。
60歳を過ぎてから始めた果樹栽培には、長年の農業経験とご自身の体調から気づいた想いが込められていました。まずは、その原点からお聞きします。

「私は、ここ稲沢の地で生まれ育ちました。明治時代はこのあたり一帯が桑畑だったようで、祖先も蚕(かいこ)業などを営んでいたようです。農業を本格的に開始したのは私の親の代からであり、野菜や花の栽培などをしていましたね。」

「当時は長男が跡を継ぐのが当たり前の時代でしたので、迷いもなく、高校の園芸科に進学しました。実は10代の頃から腰痛を抱えていたため、野菜より花の栽培の方が腰への負荷が少なく、パートさんにも手伝ってもらえるため、農場を継いでからは徐々に花き栽培が中心となっていきました。」

- 家業を継がれ、ご自身でも創意工夫されていったのですね。

「ええ。更には、庭造りにも興味を抱いていたため、仕事を終えた夜に高校の造園科の先生のお宅にお邪魔をして、庭の外構設計などを教わりました。それから約30年間は花き栽培とエクステリアの仕事を両方行っていましたよ。花き栽培は昭和40年頃から平成の7,8年位まで景気が良かったですね。エクステリア事業も好調でしたし、いい時代でした。」

挫折の記憶

バブル崩壊と中国への進出

- 事業はその後も順調だったのでしょうか?

「バブルが崩壊して何年か経った頃から日本中で花の栽培が増えてきて、価格が下がってきました。その頃、知人のご縁もあり、中国北京で花の生産と販売をすることになりました。2003〜2008年頃の話です。初めは良かったのですが、途中から販売価格の低下や人件費の上昇、労働法の改正などで経営が厳しくなってきました。」

- 異国の地で、様々な要因が重なって起こったのですね。

「はい。加えて、燃料費の上昇が発生しました。北京は日本より寒いですし、花も熱帯性の品種だったため、ハウスの中で暖房が必要だったのです。志半ばで事業をたたみ、日本に帰国しました。」

再出発

人生経験を結集させた果樹栽培

- 日本に戻ってからはどうされていたのですか?

「花き栽培は労働集約産業であり、特に多くの人手がかかるのです。価格も下落していたため、人手をかけず、腰に負荷がかからない農産物を考えていたところ、果樹栽培を思いつきました。野菜よりは腰への負荷が少ないと感じたからです。」

「花き栽培で使用していた温室ハウスがあったため、まずはバナナの苗を植えてみました。2年くらいで実がつき、温室ハウスがバナナの果樹園の様になってきました。そこで仲間とバーベキューをすると『南国にいるみたいだ!』と評判が広まり、本格的に果樹栽培を開始しました。その頃には私も60歳を超えていましたね。」

- これまでの人生経験で果樹栽培に活かされた経験はありましたでしょうか?

「花き栽培で培ったハウス内での温度や水の管理、造園事業で経験した剪定の経験はそのまま果樹の剪定で活かすことができ、普通の人の習熟度よりは早かったと思います。人生において無駄な経験はなかったと感じました。」

想い

生物の循環を守り、美と健康をお届けする

- フルーツを栽培する上でのこだわりを教えてください。

「全果樹園で除草剤を使用していません。除草剤は生物の循環を阻害してしまいます。虫も生物多様性の中の一つです。それを食べている虫や微生物が減り始め、それらを餌にしている小動物にも影響がでてしまいます。私の農園は機械や手で草刈りをして、生物や土壌を大切に守りながらフルーツを栽培しています。」

- 食物連鎖を大切に守られているのですね!

「そのような土壌で自家栽培をした完熟バナナはなんと美味しいのだろうと感じました!海外や遠方の果物は、早めに収穫して輸送するため、その間に鮮度が落ちてしまいますからね。」

- 果樹栽培にはご自身の健康の経験から来る想いも込められているとお聞きしました。

「はい、私は30代の時に大きな病を経験しました。それ以来、添加物が極力入っていない食事を心掛けています。お陰様で70歳を越えた今でも、薬を飲まずにいられています。お客様にも、安心・安全で食物繊維やビタミンたっぷりのフルーツを食べていただき、体の内側から健康的に美しくなってもらいたいと考えています。是非、稲沢フルーツ園で新鮮な完熟フルーツと”非日常”を味わっていただきたいです!」

今後のビジョン

果樹園がひろがる緑豊かな稲沢を実現したい

- 今後のビジョンをお聞かせください。

「今から10数年前に、農業で稲沢を活性化したいという想いで『きらくの郷』という団体を立ち上げました。耕作放棄地を活用して、稲沢の農家の有志を募り、ブルーベリーやみかん、さくらんぼなどを栽培・管理しています。」

「『きらくの郷』は、緑豊かな稲沢に果樹園がひろがり、そこにミツバチが飛び交うような… そんな稲沢になればいいなという想いで作りました。そして、それをきっかけにして、稲沢に行ってみたい、見てみたい、住んでみたいと皆さまに感じてもらうことが私の夢です。」


戦後から現在まで、農業と共に歩んでこられた石田園長。時代の変化に対応しながら辿り着いた”果樹栽培”には、人生経験の全てが凝縮されていました。稲沢の地で味わう完熟バナナからは、素敵な夢の香りも漂ってくるはずです。

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