その他

神野オーガニック農豊

西部 嶺志さん

岐阜県関市

祖母の残した岐阜県関市の農地で、
オーガニック栽培のモデル地区をつくる。

人生の決断

29歳での上京

2021年6月に岐阜県関市で「神野オーガニック農豊」を発足した西部さん。その人生と就農のきっかけをお聞きしました。

ーご出身はどちらでしょうか?
「岐阜県の各務原市です。祖母が近隣の関市で畑をしていたため、子供の頃は休日は手伝いにいくことがあり、幼い頃から農業は身近にありましたね。」

ー その頃から将来は農家になろうと考えていたのでしょうか?
「いえ、料理することが好きだったので、料理を学べる高等学校に進学しました。卒業後は、柳ヶ瀬のレストランバーに就職をして、料理長まで経験しましたよ。」

ー若くして料理長に!すごいですね。
「私は25歳でお店を出したかったので、それまでにいくつかのお店で修行したいと思っていました。レストランバーの後は焼肉店の店長となり、働きながら肉の専門的な捌き方や調理方法を学びました。」

ー おいくつまで修行されたのですか?
「焼肉店は28歳まで勤めました。実は26歳の時に祖母が亡くなったのですが、『いつか農家を継いで欲しい』と言われてきたのです。その言葉がずっと胸にあり、退職して叔父と一緒に祖母の畑で農業を始めました。」

ー 料理人から農家への転身ですね。
「だた、当時はうまくいかなかったです...。農作物は数日でできるものではなく、収入が安定しないですし、自分がお客さんに提供する野菜もなかなか出来なかったです。当時は農薬や化学肥料を使用していたのですが、将来的に考えるとそれらに頼っていてはダメだとも感じていました。実際に勉強を進めていくと、海外の方が農薬や化学肥料などが禁止され、先進的なオーガニック農業が展開されていることもショックでした。」

ー 実際にやってみて感じることが多かったのですね。
「はい。そして日本でも、そのようなオーガニックの知識や技術をもっている人が必ずいるはずだとも思いました。まずは農業にかかる初期費用を準備して、且つ、そのような人を探したい。そのために、29歳で上京することに決めました。」

伝え続けた想い

日本の農業を変えるために

ー 東京ではどのような生活をされていたのですか?
「当初は10社ほどの派遣会社に登録をして、生活のために様々な仕事をしていましたね。途中からは東京でしかできないことをしようと思い、ドラマのエキストラやビジネス交流会の主催など精力的に活動していました。」

「特に思い出に残っているのは、ライブイベントへの出演ですね。中学生から作詞を続けていたのですが、ミュージシャンの方と知り合い、それらに曲をつけていただき、自分が歌うことになったのです。ラッパーとしても活動していたんですよ。」

ー それは意外です!東京では、料理や農業から離れた仕事をされていたのですね!?
「そうとも言えないです。実は、多くの人に会う中で『日本の農業を変える!』と言い続けていたのです。そして、東京に来て6年目を迎えた時、友人から『農業のすごい人が現れた!』との連絡がきたのです。『西部くん、ずっとそういう人探していたよね!?』と。」

師匠との出会い

日本とオーガニック農業

ー どんな方だったのですか?
「話を聞くと、海外にオーガニック農業を指導しに行っていた野々川さんという方でした。すぐに紹介していただき、東京の地下のカフェでお会いしました。お話を聞くと、中国に農業指導をした後に日本に戻り、日本全国の農業状況を確認し終えた段階でした。」

ー 海外に指導を!?どのようなお話をされたのですか?
「日本では『虫がついてる野菜はおいしい野菜』『有機野菜やオーガニック野菜は手間が掛かって収穫量も少ないから高くても仕方ない』と言われていますが、『それは全くの誤解だよ』という言葉と科学的な根拠をもとに説明してくれました。野々川さんは、これまで指導してきたオーストラリアや中国、その他のアジア圏の農業の話を例に出し、日本の農業の遅れによる将来の食糧危機を嘆いていました。」

ー すごく新鮮で胸に響く言葉です。
「自分が十数年前に独学で農業を勉強した時に感じた危機感と同じことを感じられていました。私はこの人しか日本の農業を救える人はいないと感じ、その技術を普及させたい一心で野々川さんに岐阜まで来ていただきました。2019年10月の頃です。」

ー まだ最近の話なのですね。
「はい、その後12月に東京から岐阜に戻り、就農の準備を始めていきました。2020年に入るとコロナ禍となりましたが、その中でも堆肥をつくったり、仲間を集めたり、野々川さんを講師に招き講演活動を行いながら地道に準備をしていきました。そして、2021年6月15日に「神野オーガニック農豊」を発足することができました。」

今後のビジョン

家庭菜園キットに込めた願い

ー家庭菜園キットのお話も聞かせてください。
「『たんとものがたり』という家庭菜園キットの販売を始めました。この商品名は、『たくさんの野菜を育ててほしい。たくさんの人たちに家庭菜園の楽しさを知ってほしい』という願いが込められています。そして、"たんと"という言葉の意味は岐阜弁でたくさん。家庭菜園キットを始める人それぞれに作物を育てる"ものがたり"をつくってほしいという思いも込められています。」

ー 西部代表のたくさんの想いが詰まっているのですね!
「はい!この『たんとものがたり』には、都会暮らしの人にも自給自足を体験してほしいという想いも込めています。現状では就農者は増えているのに2年継続する人が少ないのです。理由の多くは『稼げない』からなのですが、僕らは"農家は儲かる"というモデルを作りたいのです。」

「あとは、日本の食事情を考えると少しでも自分で栽培してほしいのです。そして、それをきっかけに食事や農業への意識を高めてほしいなと思います。農薬や化学肥料を使わなくても、自分でこんなにたくさん栽培ができるんだ!ということを知っていただくきっかけの商品となることを願っています。」

ー今後のビジョンを教えてください。
「ここ岐阜県関市の神野でオーガニック栽培のモデル地区をつくることです。僕たちのコンセプトは、“日本の真ん中から1000年持続可能な農業を”としています。その第一段階として『たんとものがたり』を普及させていきたいですね!」


祖母の言葉を大切に胸に抱き、諦めずに夢に進み続ける西部さん。決して平坦な道ではない人生でも、行動力とアイデアで道を拓くその姿勢は、これから就農を考えているかたへの大きな励みになるはずです。

是非、インスタグラムをフォローして、その活動を応援していきましょう!!

▼神野オーガニック農豊のインスタグラムはこちらから

▼「たんとものがたり」の栽培イメージ

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